第1051号
漫才日本一を決定するM-1は、毎年、
その審査結果には異論反論が出てくる
のですが、2024年は、表立って、そう
いう声が少なかったように思います。
それは何より出場者の出来が素晴らし
かったからであり
審査員が審査に徹した結果だと
思います。
記念すべき20回大会を迎え
M-1はあえて、競技漫才という
新たなジャンルとして第1歩を
踏み出したような気がします。
現役の芸人さんが審査員ですから
まったく好みが排除された
わけではありませんが、
M-1を戦って勝ってきた人たち
だけがわかる勝つための評価軸
(要素)をもちより評価した結果が
先日の結果です。
評価制度のように、評価項目が決まっ
ていても、「自分の価値観」にひき
づられてしまい、
会社として求める「評価」とのバランス
を取ることは、簡単ではありません。
———————————————-
これまでの大御所の審査員が
「自分の好み」「価値観」を
優先してきて、
それがトレンドワードに上がったり
もしてきたことに比べて、
今回の審査員は
「自分がおもしろいと思う笑い」と
「お客様に受ける笑い」との
バランス感覚を意識しながら
採点しているようでした。
審査員のひとりが、
「僕は好きなんですが、お茶の間では
どうなんだろう」という客観的な目線
をもって点数をつけた、と講評で言っ
ています。
審査員自身が
漫才をどうとらえているのか、
そのうえで、目の前の漫才を
どうとらえるのか、
まさに、無意識の価値観とは
違う、
自分なりの評価軸を意識して、
点数をつけていました。
それは自らが、M-1でどうすれば
勝てるのかを考えてきた人たち
だからこその評価軸となって
います。
だからといって、その自分たちの
やり方を押し付けるわけでばなく
講評では、見たままの感想や事実
のみをフィードバックし、同じ戦い
を経験してきた仲間として寄り添い
ます。
最高と最低で8点差、9点差をつけた
審査員が3人いましたが、これは
なかなかの点差で、
明確な軸をもっていなければ、
点数の幅を広げられるものでは
ありません。
評価制度では、評価基準の
5段階や4段階で
【できていない~できている】
普通と言われる『3(真ん中)』
ばかりつけてしまうのは、
軸が決まっていないからです。
本当は、制度設計時点で、
着眼点を決めているはずなのですが、
そこがなかなか活かしきれません。
行動経済学では、
人は考慮すべき要素や条件が多いと
無意識にそれらの要素や条件を大幅に
カットして、
2、3の要素だけで決定しようとする
傾向がある、としています。
いわゆる無意識の “編集” ですが、
無意識で行う編集で選択した要素や
条件が、必ずしも合理的とは言えません。
そこで、あらかじめ、部下の行動観察
時に注目すべき点を示しておいて、
混乱を避けるために、着眼的を決めて
いるのですが、
日頃から部下を観察指導できていなくて
評価決定しなければならなくなったときに、
急遽点数化しようとするような場合は、
着眼点ではなく、無意識に編集をして
自分の価値観に引っ張られて評価して
しまう傾向がでてしまいます。
「総合的に見て点数を決めました」
というのは、そういうことが多いよう
に思います。
「無意識」では評価はでききません。
評価制度を作ってもなかなか運用が
上手くいかない理由のひとつに、
制度を使っているようでいて
評価の決め方が以前と変わって
いない
ということがあります。
これは、『認知的不調和』という、
都合のよい情報だけ受け取る、と
いうものだと思っています。
評価の時期やシートの配付、回収
など、決められた通りに行って
いますが、
それが目的化してしまっている
ことがあります。
一番重要な、評価の中身は、
評価シートがあってもなくても
同じ、と社員に言われてしまう
会社は
会社で決めた評価の点数に
特例的に役員会で点数を加点
してしまったり、
物価が上がったからといって
金額を加算してしまったりします。
オーナー会社の場合、
設計時には表に出してこなかった
経営者の違和感が、
運用時の実際の評価の段階で
大きなズレとなって顕在化
してしまいます。
しっかり仮運用時点で
この違和感やズレは修正して
おかないと、制度は崩壊して
しまうという悪い例です。
評価制度がない会社でも評価の
ない会社はない、と思います。
評価を制度化することで
会社がこれまで決めてきた評価の
「何を変えたいのか」
「何を変えたくないのか」
自社のビジョンと照らし合わせて
この点を明確にして、共有して
おくことが大切です。
お読みいただきありがとうございました。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━□■
このブログは、メルマガでも平日2回
お届けしています。
ご希望の方は、 下記フォームよりご登録ください。