第573号
明石屋さんまさんが
座右の銘としている
『生きてるだけで丸儲け』
という言葉は、
師匠の笑福亭松之助さんから
もらった「人間は裸で生まれて
きたから、服一枚着ただけで
勝ちなんや」
から来ているそうです。
いってみれば、生きてるだけで
奇跡。幸せなこと。
っていうことでしょうか。
そう思うと、確かに感謝しかありませんね。
美容院で斜め読みした
&premium(アンド プレミアム)
という雑誌も、ありがとうを
特集した号がありました。
https://magazineworld.jp/premium/
その中にでてきた
”ごめんなさい より ありがとう”
という一節を読んで
確かにごめんなさいは言えても
ありがとうは、なかなか言えない
ことに気がつきます。
もちろん、逆の人も
おられるでしょうが。
今日は、ありがとうについて
少し考えてみました。
漢字だと「有り難う」と書きます。
文字からもわかるように
由来は
「有り難し(ありがたし)」の
連用形「有り難く(ありがたく)」が
ありがとうとなった。といいます。
「有り難し(ありがたし)」は
出典:語源由来辞典
「有る(ある)こと」が
「難い(かたい)」
という意味で、
本来は「滅多にない」や
「珍しくて貴重だ」
という意味を表した。
中世に入って
仏教思想が広まるとともに
神仏による奇跡
(めったに起こらない貴重な出来事)
への感謝の言葉となり、
近世以降は一般的なお礼の
言葉として使われるように
なったとされています。
出典:公益財団法人日本漢字能力検定協会HP
仏教では、「有り難い」とは
めったにないことを言い、
人間として生まれることは、
それほど滅多にないことなのだ
と教え諭しています。
あぁ、だから有り難うの反対語は
「あたり前」なんですね。
上司の方が部下に対して、
何でも「ありがとう」と
言うことに抵抗があります。
と、おっしゃるのも、
確かに、滅多にないことに対して
言う言葉だという「有り難う」の
由来を考えると、上司の方のご意見、
理解できます。
でも、
生きていることも当たり前ではない
とする仏教の教えは、
つまりは
あたり前のことはなにひとつ
あるわけではない、という
考えなのでしょう。
そもそも「自分のあたり前」と
他人の「あたり前」が
同一とは限りません。
そう考えると
給与分働くのは当然、
社会人なんだから、できてあたり前
ちゃんと教えて指示したのだから
やれて当然、
部下は上司のいうことを聞くのが当たり前
これらは言い切れるでしょうか。
そうとは言えません。
有り難うと伝えることは
確かに部下を承認することになるから。
かもしれません。
認められることはモチベーションが
あがります。
部下のためだけに有り難うが
あるわけではありません。
良い運命の主人公になりたかったら
中村天風
心の中に感謝と歓喜の感情を持つことだ。
感謝と歓喜に満ちた言葉と好意は、
人生の花園に善き幸福という実を結ぶ。
自分の内面から自ら変えていくと
良いことを引き寄せます。
事実はひとつですが
解釈の仕方は無数にあります。
あたり前を有り難い
と感じられたら
自分自身が変わる
ことができます。
有り難うは
ポジティブを呼び込むワードです。
お読みいただき、ありがとうございました。
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