第557号
日曜日に駆け巡った
女優の沢尻エリカ容疑者が
合成麻薬・MDMAを所持した
として逮捕された事件については
今日になってもニュースを賑わせて
います。
各界からもいろいろな反応が出ています。
ここ最近、単に犯罪者として、個人を
責めればよいというものではない
ということで、「薬物報道ガイドライン」
を作ろうというような声もあがっています。
事件のたびに、ニュース映像で
クスリを映すと、断とうとしている人の
心が乱れたり、多大な影響を与えてしまう
など、など。
これまでは想像しませんでした。
報道されるご家族のことも。
目の前の事象だけを切り取って
報道しているだけではいけないということが、
だんだん広がってきているようでした。
ただ、まだどういう報道姿勢が良し
とされるのか、いわゆるガイドラインの
議論が進んでいません。
今回のように、旬の女優の逮捕という
ことになると、何のためらいもなく(そう見える)
注釈なしでクスリをニュースで何度も映し出して
います。
また、ワイドショーでも民放のニュースでも、
今後は芸能界復帰なんてあり得ないという
意見もあれば、女優としてもったいない、
しっかり反省して復帰してほしい、
という意見があがっています。
朝のラジオで伊集院光さんが
「ワイドショーではなくて、ニュースであるからには、注目すべきところは、この芸能界のこういった薬物汚染みたいなものはなぜ起こるのかとか、もしくはそういうニュース面のことであって、彼女が女優として実力があったかどうかなんて話は、後の話だって僕は思うんですけど。」
と、言っていました。
なんか有識者のコメントが、
話の文脈としておかしくないかな?って
思っていたのですが、そのもやもやしたのは
この点でした。
いろいろな切り口からの意見は
たくさんあってもよいですが、
法律に反してクスリをやってしまった
という事実と、女優としての実力云々
の話は、同列で語ると、事の本質が
ぼやけてしまいます。
ひとくくりにして、すべてが沢尻エリカだと
評するのは危険で、個別に見ることで、
ことの本質に迫ることができます。
総合的に判断して、というのは
評価制度がないときに、
よく社長がやる評価です。
これでは、どこが良くて
どこが出来ていないのかを
伝えることができません。
人事評価において
「評価者エラー」というのが
あります。
たとえば、最初に総合評価(最終評価)
を決めてから、その結果を導くために
逆算して評価内容を調整、帳尻合わせを
していくこともそのひとつです。(逆算化傾向)
あくまで、評価シートに書かれている
定義や着眼点に対して、その事実は
どうだったのか、と考えなければなりません。
そこには、こういう事情があったから、
とか
そろそろ上の職位に上げてあげたい
という心情が先にあって、点数をつける、
というような考え方はあり得ません。
良かれと思おうと、どうしようと
「エラー」です。
評価の場合、1回の事実に対して
評価をするのでなく、一定期間の事実(言動等)
に対して評価するので、期間全体を
総合的に判断したくなりますが、
人は期の最後の方だけを見て評価してしまいがち
ですから、総合的でもなく、直近の事実のみで
判断していることになります(期末評価というエラー)
よって、評価期間中、いわゆる期中の
事実(言動等)を観察していれば、
自信をもって期末に評価できます。
期中にその都度評価してきた結果を見て
最終評価することと、
何も期中に観察も記録もせず、
期末に思い出しながら評価する
というのは
総合的に評価しているという点では
同じように見えても、実態は違います。
ひとつひとつの事実を観察している
ということが大事です。
”木を見て森も見る”ことです。
お読みいただき、ありがとうございました。
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