第231号
M-1というのは、かなりすべての年齢層で
浸透している言葉だと思います。
大阪では認知度100%なんていう声も聞かれますが、
それはオーバーだとしても、少なくともM-1が
復活する前の2001年~2010年は
翌日は大阪じゅうが総評論家になったものです。
このいわば漫才日本一を決定するともいうべき
M-1グランプリが日曜のゴールデンタイムで
生放送され、決定しました。
年代によって流行ったり通じる言葉が少ない今
※例えば、流行語大賞にノミネートされたTikTokなんて
何のことやら
すごいコンテンツ(情報の中身)だと思います。
そうは言っても、M-1をご存じない方には、
勝手な思い込みになってしまって申し訳ない
今日のブログの内容となります。
少なくとも昨日から始まった、4K、8Kよりは
M-1の認知度は高いものだと思いますが。
https://www.m-1gp.com/
そもそもこのM-1はwikipediaによると、
島田紳助さんの
「漫才に恩返しをしたい」と
「芸人を辞めるきっかけを与える」
ことを目標に企画されたものらしい。
そんなふうに言っていたなと
私も記憶しています。
出場資格は結成から10年。
番組が復活した2015年以降は
結成から15年です。
M-1前と後では、歴代優勝者の
回りの環境が変化するのを、
視聴者もその目で確認するので、
特に大阪に住む人は、
共感と一体感をM-1に感じるのでしょう。
夢をつかむ様子が
わかりやすく見ることができるのが
M-1です。
今年は霜降り明星が優勝。
漫才だけでは売れない今の時代
結成6年目、一気に売れるでしょうか。
このM-1の審査はいつも議論の分かれるところ。
今年も、贔屓が過ぎる得点あり、
M-1優勝者の厳しい点数あり。
もともと、出るほうも、紳助さんや
ダウンタウンの松本さんに
言葉をかけてもらいたい
漫才を見て、認めてほしい
というところから始まっているので、
評価の基準も何もあるわけではありません。
ただ、優勝は、時代を創ってきた先輩の
”お墨付き” をもらったということで、
翌日から出演依頼が殺到し、
歴代優勝者が売れてきた
という事実があります。
評価が正しい、正しくない
ということではなくて、
売れたという結果が出ていることが、
この番組自体の信頼をつくってきました。
会社の評価制度では、
こういう点数の付け方だと、
間違いなく評価者研修が必要だ、
ということになります。
同じ漫才を見て、審査員間で10点の差は
評価制度では大きすぎます。
たとえ優勝できなくても、
他の人達が89点でも松本さんや紳助さんが、
96点つけてくれたら満足というのがM-1です。
つまり価値観の象徴がこのふたりだったわけです。
実際優勝していなくても、
オードリーも
千鳥も、
南海キャンディーズのように
“おもしろい”
“個性がある”
と認知されれば
優勝者より売れるという現象が出たのも
審査基準が明確でもなく、
統一されていなかったからかも
しれません。
評価制度の場合、特に中小企業の場合は
基準となるのが経営者、ということになります。
経営者はどういうものに高い得点を入れるのか
何を望んでいるのかを
直接の上司達に伝えることで、評価基準を
統一することが前提となることが多いです。
評価制度を作る時、イメージした
“こうあってほしい社員像”を
伝えることになります。
そして、そのよりどころとなったのが、
ビジョンやミッション、行動指針であるならば、
それを伝えることによって、
その線上にあるかどうかで、
今後上司達はそれぞれが考えて
判断することができるようになります。
お笑いに限らず芸能の世界は、
売れるための絶対の法則があるとするなら、
それは”辞めずにやり続けること”
と言われています。
売れたら正解という世界です。
審査員は自分の価値観で点数をつけますが
決してこういう方向にいけば売れますよと
言っているわけではないのです。
あくまで感想(フィードバック)を
言っているにすぎません。
評価制度は、『成長する』ために、
かってに成長しなさいと放り出したりはしません。
どうしたら高い点数を得られるかを、
示して、かつ指導します。
こう育ってほしいという方向性を示します。
評価制度は個性を伸ばすためのものではなくて、
一定のベースとなる実力を
向上、定着させるためのものです。
こうあってほしいという
会社の要望に添っています。
強みを活かす、チームで成果を出す
本人がこうなりたい、という
自発的な動機づけは、
それらはまた別の仕組みで作ることになります。
お読みいただき、ありがとうございました。
つまるところ「人と組織」
社長の想いを語りなおして
強み×8割の社員が育つ仕組み×関係性をデザインする
鈴木早苗でした。