第121号
暑さ対策が不十分とか、いろいろ問題はあっても
グラウンドでは、熱戦が繰り広げられている高校野球です。
朝日新聞デジタルのネット記事より引用————————————
足けいれんした沖学園選手へ真っ先に氷、
大阪桐蔭の強さの一端を見た
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180813-00000049-asahi-spo&pos=2
沖学園の九回、中前安打を放った森島君が
一塁で足をけいれんさせた。
真っ先に救護に向かったのは、
一塁ベンチの大阪桐蔭。
俵藤君が氷囊(ひょうのう)、
青木君が経口補水液を持って駆けた。
という内容の記事です。
マラソンを見ていても、給水ポイントで
取りそこなった選手に飲み物を渡す光景
などを見たことがあります。
大阪桐蔭がすばらしかったのは、
・2人が申し合わせてやったことでなく、
個人の判断でそれぞれ動き出したこと。
・このふたりが特別なのではなく、
チームとして考えが共有され浸透していること。
実は、すばらしいのは、沖学園も同じ。
前の試合で、相手校の選手が両ふくらはぎに
けいれんを起こして立てなくなった際、
三塁コーチの上園君が、冷却スプレーをもって走り、
助けています。
「三塁側にいたので自分が一番近かった。
冷やす物を持っていたので、倒れた瞬間に助けようと思った」。
大阪桐蔭同様、控えの高原君も
ベンチから左翼へ走り、水を届けたということです。
テレビ観戦していて、
選手は自分のチームだけを見て
ベンチから応援していると思っていました。
相手チームを見るときも、偵察というか、
自分達視点で、どうしたら勝てるだろうと
観察しているだけだと思っていました。
でも、勝ちたいというのと同様、
戦う相手であろうと困っていれば
お互いさま、助け合って当然
というのが身についていたようです。
ニュースでは思いやりの心とか、
美談のような取り上げ方でしたが、
” 意識した行動 ”ではなく、
” 無意識の行動 ” だったのが
素晴らしかったと思っています。
氷のうを沖学園に持っていった大阪桐蔭の俵籐君は、
「日常から一つのことだけでなく、周囲を見るようにしている」
と言い
「そうすると野球でも自然と声が出るようになります」
彼らにとっては、
野球がうまくなることにつながる
練習の一環なのです。
試合のときだけ周囲を見るようにしていたら、
きっとこのような行動には結び付かなかったでしょう。
経口補水液を持って同じく駆けつけた大阪桐蔭の青木君は、
「とっさの判断が大事だと思う。普段から意識していれば、一瞬のプレーで決まる野球につながる」。
普段から意識しているから、無意識に出来るようになります。
大阪桐蔭は、それが甲子園という大舞台で見事に発揮されました。
以前のブログでも書きましたが、
「知らない」
↓
「知っている」
↓
「やってみる」
↓
「わかる」
↓
「できる」
↓
「している」
この段階をクリアして、人はできる(習慣化)ようになります。
これは研修をしたからと言って
できるものではありません。
研修で到達できるのは
「知らない」→「知っている」の段階までです。
意識しながらでよいので、
引き続き「やってみる」ことが、習慣につながります。
大阪桐蔭の選手から氷のうを当ててもらった
沖学園の森島君
「自分たちも1回戦で同じことをしたけど、” されてみてすごくうれしかった ”。高校野球をやっていてよかったな」
まさに、わかった瞬間ではないでしょうか。
「わかる」
↓
「できる」
↓
「している」
沖学園の主将の阿部君が、
1回戦のあと、けいれんを起こした相手チームの選手に
冷却スプレーや水を届けた行為について
「敵だとしても助け合うという気持ちは野球に必要だと思う」
と言っています。
その後の試合で、大阪桐蔭から” される立場 ” を経験して、
より実感を伴った『野球に必要だと思う』になったことでしょう。
大阪桐蔭がすばらしいだけでなく、
強さの一端があの行動にあったとすれば、
すべては野球が強くなるため!に
ベクトルをあわせて行動していること。
” まわりを見る ” こともそうで、
それが、習慣化されていることです。
お読みいただき、ありがとうございました。
つまるところ「人と組織」
社長の想いを語りなおして
強み×8割の社員が育つ仕組み×関係性をデザインする
鈴木早苗でした。